蓬莱での昼食を終え、久しぶりに徳島城公園(徳島中央公園)を歩いてみることにしました。駐車場に車を停めてバラ園に向かいます。
バラ園の入口には西洋シャクナゲと思われる花が咲いていました。
バラ園の中には色とりどりのバラが咲き乱れていました。
バラ園の横には小さな池があって、城山を形作っている岩肌が露出しています。
城山の頂上方向に堆積岩の層が向かっています。少し歩くと「貝塚」があります。かつてこの辺りが海辺だったことを示しています。
この貝塚は1922年に鳥居龍造博士が発見したもので、縄文時代の人骨も見つかったそうです。
すぐそばには鳥居博士の記念碑も建っています。
説明文によると博士は小学校中退で、独学で人類学を学び、20歳で状況した後に35歳で東京大学の講師になっています。NHKドラマの「らんまん」の主人公である牧野富太郎と同じような道を歩んだようです。
少し先に「子供平和記念塔」が建っています。終戦後に作られた塔で、「小便小僧」と呼ばれていました。
子供平和記念塔の前には徳島藩の藩祖である蜂須賀家政の像が建っています。
私が小学三年生の時に建立されたようです。説明板によると徳島の中心産業になった製塩や藍を持ち込んだとされています。正に徳島の基盤を作った人ということなのでしょう。世界的に有名になった阿波踊りも家政の時代に生まれたようです。
もう少し歩いて本来の入口である「鷲の門」に向かいます。
鷲の門は平成元年に個人によって再建、寄贈されたものです。
鷲の門の碑の横には「徳島城跡」の石碑も建っています。後ろに見えるのはお堀です。
現在の徳島市中心部がかつてどのような形であったのかが良く判ります。徳島駅やJR牟岐線の線路はかつて川(堀)だったところを走っているようです。徳島城跡の地図もありました。
城の本丸、二の丸、三の丸は「城山」と呼ばれる小高い山の上(地図の緑色の部分)に築かれており、公園になっている部分が執務や生活の場となっていたようです。
鷲の門をくぐり、大手門に通じる橋が「下乗橋」です。今は石造りの橋になっていますが、かつては木製の橋だったようです。
大手門の石垣の上には「ラジオ塔」や日清・日露戦争で使われた駆逐艦「追風」のマストがありました。
公園内にある「徳島城博物館」で開催されている春の企画展「殿様の江戸時代ー蜂須賀家十五代ー」を見に行きました。
チケットを買って入ろうとするとボランティアのガイドの方から声をかけられました。県外客だと思われたようで、展示品を解説していただけるとのことで喜んでお願いしました。丁寧な解説を聞きながらゆっくりと展示品を見て回りました。
解説をお聞きしながら展示品を見てみると細かなところまで見ることができて理解が深まったと思います。歴代藩主の人となりの話もとても面白く拝聴しました。お世話になりました。
駐車場に戻る時に城山の原生林にアオサギが群れているところを見ることができました。右上には舞降りようとしているサギも見えます。
徳島城公園をこれほどゆっくり見て回ったのは初めてでした。徳島のことも改めて調べてみる必要があると思いました。