八重山ツアー三日目は小浜島から竹富島へ向かいます。船の時間は午後なので午前中は「はいむるぶし」の中で過ごすことにしました。朝食券を貰っていたのですが、お腹が空いていないので昼食に回すことにして散策に出ました。
宿泊棟のバルコニーから竹富島が見えました。真っ平らな島であることが判ります。
【名和昆虫博物館はいむるぶし分室】
マップを見ていると敷地内に昆虫博物館の表示があったので行ってみることにしました。
ホームページを見てみると1919年(大正8年)10月に岐阜県岐阜市に日本最古の昆虫専門博物館としてオープンし、2012年7月に「はいむるぶし」に分室を開設したとのこと。
八重山諸島に生息する昆虫の標本をはじめ、世界中の様々な昆虫の標本が展示されていました。
【水牛の池】
昆虫博物館の前には水牛の池があり、2頭の水牛が飼われています。一頭は白い髭を蓄えた立派な水牛です。
もう一頭は比較的若いと思われます。
カラスが乗っても知らん顔で寝ています。
水牛の池のそばに大きな岩がありました。
近づいてみると明らかに石灰岩層ではありません。帰ってから調べたところ小浜島の地質は大きく三つに分かれており、はいむるぶしの辺り(島の南東部)は八重山層の砂岩が存在するとされていました。
【動物ふれあい広場】
水牛の池の横に数頭の山羊が飼われていました。
お昼をいただきました。
私は握り寿司、家内は珍しく生姜焼き丼(八重山そば付き)を注文。
美味しくいただきました。
ホテルのバスで港に向かいます。
小浜港から竹富港までは30分程度の船旅です。
港の奥には砂浜が広がっていましたので港の水深はあまり深くないのかもしれません。
【竹富島】
30分ほどの船旅で竹富島に上陸しました。「竹富東港旅客待合所」とあります。西にも港があるということでしょうか。
港のすぐ前に案内板がありました。集落は島の中央部に固まっているようです。
距離感が判らないので宿に電話して迎えにきていただきました。
【高那旅館】
まずは宿に案内していただき、宿泊手続きを済ませました。
竹富島の案内地図をいただきました。
集落を中心に書いているのでかなりデフォルメされています。集落を巡るための地図でしょう。
集落に入る前に梯梧(デイゴ)の花が咲いていたのを見つけたので集落入口に向かいました。
まだ満開には至っていないようですが、小浜島で見た梯梧よりは沢山花が咲いていました。
【スンマシャー】
集落の入口を塞ぐように大きな木が石垣で囲われて植わっています。
確かに集落の入口を守るかのように配置されています。
外に向かって「石敢當」が埋め込まれています。集落を魔物から守っているのでしょうか。
集落入口から集落を見たところ。整備された道と石垣が素晴らしい。
【なごみの塔】
旅館のすぐ横に道標がありました。集落を俯瞰できるかもしれないので「なごみの塔」に行ってみることにしました。
いただいた地図を頼りに歩いていくと地図に描かれているようなコンクリート製の塔がありました。
塔の上には上がれなくなっていますが、塔自体が石積みの上に作られているので、塔の下まで上がってみると集落を見下ろすことができました。
石垣で囲まれた赤瓦の木造平屋建ての家が立ち並んでいます。道には浜から持ってきたと思われる白い砂が敷き詰められています。
【世持御嶽(ユームチオン)】
なごみの塔を下りて民芸館に向かいましたが、残念ながら民芸館は一般開放されていないようでした。足の向くままに歩いていると「世持御嶽(ユームチオン)」と書かれた碑がありました。
御嶽と思われる拝所もありました。
歩いている途中で面白い岩を見つけました。
堆積岩の岩の割れ目から水がにじみ出ているようです。写真には撮りませんでしたが、集落の至る所に井戸がありました。帰ってから調べてみるとこんな記述を見つけました。
集落のある辺りに流れている何本かの地下水脈から水を得ているようです。宿の方に話を聞くと1976年に石垣島から竹富島まで海底送水管が設置されたことで水道が使えるようになったとのこと。集落が一箇所に集まっているのも地下水脈に依存していたからなのでしょう。
【西桟橋】
なごみの塔付近まで戻って西に向かいました。集落の西の外れに「スンマシャー」のような石囲いがありました。
ここを抜けて旅館で貰った地図の左側に白く描かれた道路を横切ると「西桟橋」に着くようです。道路を渡ったところで
宿の方が今はコンクリート作りの家が建てられなくなったとおっしゃっていた理由が判りました。
浜に下りていくと桟橋らしきものがありました。
干潮だったので桟橋らしさは感じられませんでしたが、その先には西表島が見えています。すぐ近くに説明板が設置されていました。
小浜島を迂回して西表島まで出向いて米を作っていたのは知りませんでした。確かに水の乏しい竹富島では稲作はできないでしょうからやむを得ないのだと思いますが、大変な努力があったことが判りました。船が着いた港が「竹富東港」と呼ばれている理由も判りました。
【竹富郵便局】
遅くなったので宿に戻りました。宿の横には赤瓦平屋建ての郵便局がありました。
夕食の写真はありませんが、食べきれないほどの品数で申し訳ないことにかなり食べ残してしまいました。