辺戸岬へ

大石林山のツアーを終え、辺戸岬に向かいました。石の文化博物館の方に聞いてみると5分ほどで着くとのこと。本当にすぐ近くでした。

大石林山の北側を望むことができます。内地では見られない風景です。

「祖国復帰闘争碑」から辺戸岬を見たところ。

残波岬も絶壁でしたが、こちらも相当なものです。辺戸岬には大石林山北側にある安須森(安須杜、アシムイ)の説明板もありました。

聖地・安須杜(アシムイ)とは
島建ての神、アマミキヨが降り立ち沖縄最初の聖地、安須杜を創ったという。琉球王国時代には王家の繁栄、五穀豊穣、航海安全をこの地で祈り今も四十箇所以上ある御願所(拝所)に神人の祈りが捧げられる。2億年前の石灰岩層が隆起し長い歳月をかけて侵食された四連の岩山。地元の古老たちは安須杜の四峰をシノクセ、アフリ、シジャラ、イヘヤと呼ぶ。大石林山は聖なる地、イヘヤ、シジャラの杜をめぐる自然と対話する場所。
大石林山がある安須杜には40を超える御願所(拝所)があり、断崖絶壁や立穴の洞窟など非常に危険な場所にもつくられていることから、その信仰の深さがうかがえます。 安須杜は長老の杜、峰に名付けられたアフリは天帝の差す傘、シジャラは女性の乳房を意味しています。
17世紀に編集された琉球最初の歴史書『中山世鑑』(ちゅうざんせいかん)では、祖神アマミキヨによって一番に安須杜が創られたと琉球開びゃく神話を伝えています。 また、12〜17世紀に琉球王府がまとめた沖縄最古の歌謡集『おもろさうし』には、国王の命で安須杜の湧水が王家の長寿を祈る若水として用いられたと詠われています。

断崖絶壁が続きます。

やんばるツアーの時に米軍関係者が危険な行為をすることがあるので米軍の警告掲示があると聞いていましたが、実際に見ると衝撃的でした。この日も多くの外国人が柵の隙間から辺戸岬の絶壁に向かって歩いていました。


北部ツアーはこれで終了。一気に那覇まで帰る体力がないので名護で一泊してから帰ります。