宮古島ツアー(一日目)

一泊二日で宮古島ツアーに出かけました。10:35那覇空港発の日本トランスオーシャン航空機で宮古空港へ向かいました。Googleマップで確認すると来間島上空を通って宮古空港に向かっています。

11:19時点でJALのホームページを見ると目的地まで残り1分になっていて11:20に宮古空港に着陸しました。

那覇空港の出発は少し遅れたものの、宮古空港までは1時間弱で着いてしまいました。


宮古空港にはレンタカー会社の方が待っていてくれて、会社まで連れていってくれます。その前に「宮古島まもる君」がいたので写真を撮らせてもらいました。

顔の色がイメージと違いますが宮古島警察署のタスキをかけていますので、これも「宮古島まもる君」なのでしょう。


レンタカー会社でレンタカーを割り当てて貰ってまずはお昼を食べに空港近くの「島とうふ 春おばぁ食堂」へ。詳しくは『お昼は「春おばぁ食堂」で』をご覧下さい。


お昼を終え、家内のリクエストで「宮古島市伝統工芸品センター」に向かいました。

この施設は宮古上布の織り手を育成するための施設でもあって、建物の一番奥では数人の女性が機織りをしていました。上布とは献上するための布という意味で、宮古上布は四大上布(越後上布、近江上布、宮古上布、八重山上布)の一つに数えられています。様々な布製品も展示されており、その光沢と複雑な模様に驚かされます。繊維の採取から紡ぎ出し、染めから機織りと全てを手作業に頼るもので伝統工芸品として扱われています。


まずは東平安名崎に向かう途中にある「うえのドイツ文化村」に立ち寄りました。

この施設は明治時代に宮国の住民がドイツの難破船を救助したゆかりの地だそうで、ドイツの古城保存協会から許可を得て見取り図をもとに原寸大に再現した「マルクスブルグ城」がありました。

また、キンダーハウスには本物のベルリンの壁が展示されていました。

左側が西ベルリン、右側が東ベルリンだそう。東西冷戦時代の名残とはいえ、複雑な想いにかられます。

パレス館という立派な建物もありました。琉球石灰岩の上に建っていて不思議な感じです。


次に「仲原鍾乳洞」に向かいました。案内板もなく、ナビを頼りに農道を走ってようやく到着したと思ったら閉まっていました。調べてみると観覧する際にはオーナーへの連絡が必要とのこと。農地の中に少しだけ盛り上がったところがあり、その下に鍾乳洞が広がっているようです。残念ですが引き返すしかありませんでした。


宮古島訪問の目的の一つである「宮古島市 地下ダム資料館」に向かいました。宮古島には高い山や川がなく、湧き水に頼るしかなかったようで、水の確保は大変だったようです。宮古島には地下ダムがあるとは聞いていましたが、地下ダムとはどのようなものなのかまったく分かりませんでした。

資料館に着くと「福里地下ダム」と書かれた石碑が建っていました。石碑の後ろには大きな施設があります。

これが地下ダムのようです。資料館はこの施設を回り込んだところにありました。

資料館に入ると大きなジオラマが展示されています。良く見てみると宮古島が半分に割れていてその下に岩盤層と思われるものがありました。宮古島は琉球石灰岩層と島尻層(泥岩層)で成り立っていて、泥岩層に溜まった水を井戸を掘って組み上げるのだろうと思いました。いくつか展示物を見ていると、年表が掲げられていました。

昭和47年の本土復帰から2年後の昭和49年から地下水源の調査を始め、昭和52年、54年、63年、平成6年と次々に地下ダム建設を進めていったことが良く判ります。平成27年には伊良部大橋が開通し、2年前の令和3年から伊良部島で灌漑散水が始まったようです。大変な努力があったことが良く判りました。

先に進むと宮古島の地質が書かれた図が貼り出されていました。

最初に見たジオラマをより詳しく示していると思います。宮古島には数多くの断層があり、その断層に沿って泥岩層にできた窪みに多くの水が溜まっていることが分かります。地表の琉球石灰岩層がフィルターの役割を果たし、長い時間をかけて地中深くに蓄積されたのだと思います。写真を撮り忘れましたが、井戸を掘った時の地層のサンプルも展示されていました。地下20メートルくらいまでは石灰岩層(白)ですが、それを越えると泥岩層(黒)に変わっています。このサンプルも宮古島の地質を知る上でとても貴重なものだと思います。残念ながら見学者は我々夫婦の他には誰もいませんでした。


時間が無くなってきたので予定を縮小して東平安名崎に向かうことにしました。

左のジュラルミンの箱は岬に咲くテッポウユリ保護のための募金箱です。入場料という訳ではありませんが、二人分を寄付しました。しばらく行くと大きな石の塊が見えてきました。

立て看板には「マムヤの墓」と書かれています。岩の左側にはマムヤを祀った墓がありました。

マムヤは絶世の美女で、野城按司の「崎山の坊」に見初められたものの、彼が妻子持ちであることを知って平安名崎の崖から身を投げたという伝説があるそうです。少し歩いたところに展望台がありました。

 

海の中に琉球石灰岩の大きな岩が波に浸食されることもなく点在しています。この東平安名岬自体も琉球石灰岩の岬ですからもっと浸食されていてもおかしくないところですが、よく見ると周りはリーフになっていて、かなり先のところで波が砕けているのが判ります。岩を削る程の強い波はリーフに阻まれて岬までとどかないのでしょう。

興味深い地形だと思います。すぐ近くには港もありました。

岬の突端には灯台があります。灯台に登ることもできるようですが、歩き草臥れてきたので写真だけを撮りました。

さすがに草臥れたのでホテルにチェックインして休憩することにしました。


ホテルは平良港のすぐ横にあり、伊良部島と伊良部大橋が良く見えます。しばらく休憩してから、夕食を食べに出ることにしました。歩いている途中でヤギ肉の自動販売機がありまし。

山羊刺、山羊皮、山羊汁、山羊のミルクで作ったジェラートまでありました。自販機の上に書かれている「くんくりやーがま」は山羊料理を出す店の名前のようです。山羊好きの宮古島ならではの自動販売機でした。しばらく歩いて店に到着。

島唄を聴きながらビールと泡盛をいただきました。ご馳走さまでした。