O商会のT専務にご案内いただいて久高島を巡る聖地巡礼ツアーに出かけました。T専務には沖縄の歴史や地理など、多くのことを教えていただきましたが、兼ねてより最大のイベントである久高島訪問をご準備いただきました。お心遣いに心から感謝申し上げます。ディープなツアーの幕開けは久高島編から…
久高島には琉球王朝に作られた神女組織「祝女(ノロ)」制度を継承し、12年に一度行われる秘祭イザイホーを頂点とした祭事を行うなど、女性を守護神とする母性原理の精神文化を伝えており、民俗学的に重要な島である。12年に一度の午(うま)年の旧暦11月15日からの6日間、島の30歳から41歳までの女性がナンチュという地位になるための儀礼として行われる。それにより一人前の女性として認められ、家族を加護する神的な力を得るとされる。
久高島は海の彼方の異界ニライカナイにつながる聖地であり、穀物がニライカナイからもたらされたといわれている。『琉球国由来記』(1713年)によると、島の東海岸にある伊敷(イシキ)浜に流れ着いた壷の中に五穀の種子が入っていたと記載されており、五穀発祥の地とされる。島の伝承では流れ着いたのは壷ではなく瓢箪であり、それをアカッチュミとシマリバという名の夫婦が拾ったともいう。また、年始に男子一人につき伊敷浜の石を三個拾い、お守りとして家に置き、年末に浜に戻す儀式がある。かつて琉球時代に執り行われた「麦の穂祭り」など多くの五穀発祥にまつわる祭祀が年中行事として現在も残る。
旅程はこんな感じです。
9:30 | 〜 | 10:30 | 自宅→安座真港(T専務車) | |
10:30 | 〜 | 11:00 | 乗船手続き | |
11:00 | 〜 | 11:30 | 安座真港→久高島(フェリー) | |
11:30 | 〜 | 14:00 | 久高島巡礼 | |
14:00 | 〜 | 14:30 | 久高島→安座真港(フェリー) | |
14:30 | 〜 | 15:00 | 安座真港→南城市のカフェ | |
15:00 | 〜 | 15:40 | 休憩 | |
15:40 | 〜 | 16:00 | 南城市のカフェ→糸数城趾 | |
16:00 | 〜 | 16:30 | 糸数城跡見学 | |
16:30 | 〜 | 17:00 | 糸数城跡→那覇 | |
17:00 | 〜 | 反省会 |
予定より少し早く港に着いたのでフェリーを待っている間にフェリー乗り場の売店でクバ傘を被らせていただいて記念写真を撮っていただきました。
しばらくして久高島からフェリーが戻ってきました。
接岸するとタラップを下ろします。
正面から見るとこんな感じ。
人も車も荷物も全てこのタラップを使って乗船、下船します。
甲板後部にあった三人掛けのシートに。出港予定時間を少しすぎて出港しました。
沖に出るに従って波が立ってきて小刻みな揺れが始まりました。
後部の席に座っていましたが、波しぶきがかかってきました。しばらくすると知念岬の展望台が見えてきました。
30分程の船旅で、15分程進むと久高島がはっきり見えてきます。
北東(左側)から南西(右側)にかけて細長く伸びた島で、南西部(右側)が少し高くなっていますが、最高地点でも標高17mだそうですから本当に平坦な島です。
久高島徳仁港の入口(進行方向左側)にある岩です。右側に港が見えてきています。
船から見た徳仁港の様子です。フェリーはこの右側に接岸します。
進行方向右側にも大きな岩がありました。これがエラブ岩と呼ばれている岩かもしれません。
港に着くとT専務が予約してくれていたガイドさんが電動カートで迎えにきてくれていました。乗車するとこんな感じです。
ガイドさんを除いて最大6人が乗れるそうで、一台500万円とのこと。公道を走るのでナンバープレート(白)がついています。車検も受けなければならないそうです。
ガイドさんは久高島出身の外間さんとおっしゃる1950年生まれ(今年で73歳)の方でした。お願いしていたガイドコースは下記の「アマミキヨコース」だったのですが、コースに拘らず時間を見ながら案内していただけるそう。最後に三線演奏もしていただけることになりました。
走り出してしばらく進むと島の案内板がありました。
案内版のすぐ横からピザ浜に通じる道があります。
図の左側が本島側、右側が太平洋です。ガイドさんのお話では太平洋側はリーフが幅広く広がっていて波を打ち消してくれるので波打ち際は静かだそう。本島側は切り立った崖になっているとのことでした。
海岸に降りると琉球石灰岩が波に洗われていました。
確かにガイドさんの説明ようにのリーフのところで波が砕けています。
次に向かったのはフボー(クボー)御嶽です。ここは琉球開闢神話にも登場する神々が天下りされる七御嶽の一つで、厳しく出入りを禁じられている久高島で最も重要な聖地です。
入口には説明書きと立ち入り禁止の看板が立っていました。
フボーは樹木のクバの意味で、近辺には多くのクバの木が茂っています。
次に向かったのはロマンスロード。入口は判りにくく、車が入れないように車止めの石が置かれています。
道の途中にはハイビスカス(アカバナー)が咲いています。
花は小さいのですがこれが現在のハイビスカスの原種だとのこと。少し歩くと目の前が開けてきて東屋の向こうに海が広がっています。
先に進むとガイドさんの説明どおり、琉球石灰岩の崖になっていました。
崖の向こうには美しいコバルトブルーの海が広がっています。
本島の島影を見ることができます。
動画もご覧ください。
次はカベール岬(ハビャーン)に向かいます。その途中に「ビロウの杜」と書かれた案内版がありました。「カベール」とは島の北東部一帯を意味し、その森にはアダンなどの植物群落が自然のままに残されています。ここには様々な生き物が暮らしており、ビロウの杜の植物群は国の天然記念物に指定されているそうです。
ビロウの杜を突き抜けるように切り開かれた道の先にカベール岬があります。
岬に出るところには案内板が設置されています。
カベール岬に出るとその先は太平洋です。東の方角に大きな岩があるのが判ります。
この先がニライカナイなんだろうと思います。
琉球石灰岩の岸が波に洗われています。ビデオもご覧下さい。
カベール岬の浜には琉球石灰岩だけでなく砂岩のような岩も混じっています。ガイドさんもその理由は判らないそう。
この海の向こうには神の住む理想郷「ニライカナイ」があると考えたのでしょう。琉球開闢の祖と言われているアマミキヨが降り立った場所と言われるとそう考えても不思議ではないような気がしてきます。
カベール岬から次に向かったのは「巨大なガジュマルの樹」。大木が育つには過酷な環境だと思いますが、驚くほど大きく育っています。
枝も大きく広がっています。
この樹の脇には「しあわせベンチ」と書かれたベンチが備えられています。
このベンチに腰掛けるガイドの外間さん。
何となくしあわせそうです。
ガジュマルの樹のすぐそばにあるシマーシ浜にも降りてみました。
浜は砂浜ではなく岩になっていて小さなポットホールがあいています。
次に向かったのはイシキ浜です。浜に降りていくところに案内板がありました。
浜に降りると白い石や黒い石など様々な色の石が転がっています。
ガイドさんからこの浜にニライカナイから五穀の種が入った壺が流れ着いた時の話をお聞きしました。この種子が琉球の農耕の始まりになったとのこと。また、浜に打ち上げられた白い石は海で亡くなった方の魂なので取ってはいけないと教わったそうです。ウプヌシガナシ(健康祈願)の御願立という年始の願立てと、ウプヌシガナシのシディガフーという年末の御願解きが行われる場所だそうで、願立ての時に男性家族員1名につき3個の色の付いた小石を拾って持ち帰り、シディガフーのときにそれを浜に戻すという風習があるそうです。拾った小石は一年間のお守りになるのだそう。
返された石なのか色のついた小石が固まって置かれていました。
この浜はニライカナイに面する浜とされているそうで、入口にはニライカナイの神を祀った御嶽がありました。
次に向かったのは外間・ウプグイ。ガイドの外間さんは久高島の宗家のひとつである外間御殿の直系だそうで、正月にはここで村人を集めて宴が催されているとのこと。
右側の建物の中には首里城にも同じ物が祀られているという大きな香炉が祀られていました。外間家はこの役割を与えられた報酬としてイラブーを捕獲する権利を得たそうです。
外間殿の前には拝所がありました。
次に向かったのはイザイホーが執り行われた御殿庭(ウドゥンミャー)でした。
1966年と1978年のイザイホーを記録した映画を観た時には、結構広い広場で行われているようなイメージがありましたが、実際に観てみると意外とこじんまりしていることに驚きました。左にある建物はイラブーを燻製にするためのものだそう。イラブーは捕まえて籠に入れておいても半年から一年程度は生きているそうです。その生命力の強さが滋養強壮剤として珍重されたそうです。
最後は外間さんのご自宅にお招きいただき、歌三線を聴かせていただきました。
ガイドの自己紹介に唄三線が趣味と書かれている意味が良く判りました。予定の2時間を越えてガイドいただきました。有り難うございました。
コロナ禍や天候不良で長らくお邪魔できなかった久高島をT専務のお陰でようやく体験することができました。またガイドまで手配いただいたお陰で、久高島の理解が深まったと思います。いつもお気遣いいただき有り難うございます。
この続きは『ブラタイラ#3「久高島聖地巡礼ツアー」(絶景カフェ編)』で。