Eスタジオ訪問

2006年8月から2011年12月までの5年間『蛭子山ホームズ』という親父バンドでご一緒させていただいたE川氏のご自宅にお邪魔しました。因みにバンド名にある『ホームズ(HOMES)』はE川氏の発案で初代メンバー5人(H、O崎、M田、E川、S木)の名前の頭文字を組み合わせ、バンドリーダーであるO崎の自宅の地名『蛭子山』を冠として名付けたものでした。バンド自体は我々が抜けた後もメンバー交代を繰り返しながら今も活動を続けています。

ご自宅には「Eスタジオ」と呼ばれている練習部屋があって、バンド練習の様子などをFacebookで見ていましたので、一度お邪魔させて頂きたかったところです。玄関とは別の入り口があって、ご自宅内を通らずにスタジオに直接入ることができるようになっていました。

右側が入り口で入った直ぐのところにステージが設られていました。ドラムセットやキーボード、ミキサーやアンプも揃っていて、ウッドベースまでありました。

ステージの反対側は大量のLPレコードが置かれています。LP専用の棚になっていて、ここに置いてあるものだけではなく、他の部屋や納屋にもレコードがあるそうです。

こちらは左側がEP、右側がCDの棚です。どれほどの音源があるのでしょう。

最近アレンジした「男はつらいよ」や数曲の演奏をお聴きいただきました。

こちらは「男ばつらいよ」の前奏と最初のセリフ「私、生まれも育ちも葛飾柴又です〜人呼んでフーテンの寅と発します」のバックで流れているメロディ、一番有名な歌のパートとエンディングを組み合わせて弾いたものです。この他には短い間奏と二番目のセリフ「とかく西に行きましても東に行きましても〜向後万端ひきたってよろしくおたの申します」のバックで流れているメロディパートもあります。

学生時代やバンド時代の昔話にお付き合いいただきました。有難うございました。