いよいよ伊是名島に向けて出発です。9時に名護のホテルを出て30分ほどで今帰仁の運天港に到着しました。

ターミナルの前にあったバス停を見には「空港線」と書かれていて那覇空港直行便が運行されていることが判ります。

ターミナルの中に入ると乗船券売り場がありました。この反対側に伊平屋島行きフェリーの乗船券売り場がありました。釣り客と思われる方々も多くいらっしゃいました。

伊平屋島と伊是名島の大きな航空写真も飾られていました。

伊平屋島は大きな二つの島が橋で繋がっています。山と平地がはっきり分かれているようで一度行ってみたいと思います。

方や伊是名島は平坦な島のように見えます。緑が多そうです。

伊平屋島と伊是名島を橋で結ぶ活動もしているそうです。伊是名島の北にある具志川島まで橋を架け、具志川島から分岐するような形で伊是名島まで橋を延ばすのだそう。今はそれぞれの島に行くには運天港で別のフェリーに乗らなければなりませんが、橋が繋がれば船の運航も効率化されるでしょう。今日も伊平屋島行きの一便はエンジントラブルで欠航になっていて伊平屋島に行こうとしているお客さまは困っていました。

出向まで時間があったので海を見に出てみました。この港はかなり入り組んだ地形を利用して作られています。

フェリーが到着しました。船腹に「フェリーいぜな 尚円」の文字が見えます。真ん中には第二尚氏の始祖である金丸の絵が描かれていました。

いよいよ出港です。運天港の出口に差しかかると古宇利大橋が見えてきました。今年の2月に今帰仁側の橋のたもとから運天港に入ろうとするフェリーを見たことを思い出しました。

すぐに古宇利島が見えてきます。

古宇利島全景です。意外に大きいことに驚きました。伊是名島まで55分の船旅ですが、今日は波も比較的穏やかで快適に過ごすことができました。

伊是名島の仲田港に近づいてきました。進行方向左側には三角形の山が見えてきました。伊是名城が築かれた山だそうです。その右側には比較的緩やかな山が連なっています。

少し離れたところに平らな島がありました。航空写真にも写っていた屋那覇島でしょう。

港に近づくと急峻な岩山でピラミッドのようになっていること、隣の山と離れていて単独の岩山のようになっていることが判ります。

港の入口近くに岩でできた小島がありました。降神島と呼ばれている島でしょうか。

仲田港ターミナルに近づいてきました。

ターミナルのすぐそばに今日の宿「民宿 美島」が見えます。

ターミナルには「ハブのいない島」と書かれた看板がかかっています。ハブがいないということは多少の藪であれば安心して進めるでしょう。
いよいよ伊是名島上陸です。ターミナルの中の壁に島出身の名嘉睦稔氏が製作した「島の星」と題された陶板壁画が掲げられていました。ボクネンファンにとっては何よりの出迎えでしょう。

我々より二つ上の1953年生まれで、この島の勢理客という集落出身だそう。

伊是名島の観光ガイドもいただきました。

この裏側には伊是名島の名所などが判る地図が掲載されています。

民宿に荷物を預けて隣のレンタカー屋で車を借りて早速、島を見て回ることにしました。見所が多いのは港の南なので海沿いの道路を南下することにしました。
【ターシ浜】
港を出て直ぐに「ターシ浜」がありました。入口には「タァシ美浜」と題された琉歌が刻まれた石碑や地蔵像などが置かれていました。

浜に降りると大きな岩の塊がありました。ところどころ赤くなっています。琉球石灰岩ではありませんので沖縄のビーチでは珍しい光景です。

すぐ先に伊是名城趾が見えます。ここから見ると形が変わって見えます。

沖合にフェリーからも見えた降神島が見えます。この島も浜辺と同じような岩でできているようです。

先ほどの岩を別の角度から見たところ。沖縄ではあまり馴染みのない岩石のようです。

水は透き通っていてとても美しいビーチになっています。岩と白い砂浜が不思議なコントラストを醸し出しています。

【玉御殿】
ターシ浜を後にして玉御殿(たまうどぅん)に向かいます。

伊是名城の岩山を背にし、第二尚氏の始祖であった尚円(金丸)の縁者が葬られた墓のようです。

近くの屋敷の石を集めて作ったと書かれているように、様々な種類の石を野面積みにして作られています。
【伊是名城趾】

すぐそばに「伊是名城趾」の立て看板がありました。

玉御殿から見上げると急峻な岩山でこの上に城を築くのは大変だっただろうと思いました。

伊是名城趾に登っていくと思われる道もありました。途中まで歩きましたが到底登れないので引っ返すことにしました。
【サムレー道】
ガイドマップを見るとすぐ近くに「サムレー道」という道があると書かれています。車で走っていると見落としそうな「サムレー道」と彫られた石柱がありました。

名前からはかつて侍が歩いた道というイメージでしたが、説明書きを読むと「元島と伊是名南西部を結ぶ唯一の生活道路」だったとのこと。「サムレー」の名は敷石が武士の足形に似ているところから付いたとのこと。

なかなか風情のある道です。
【シラサギ展望台】
サムレー道から300mほどのところに「シラサギ展望台」がありました。

「シラサギ展望台」と書かれた看板は上部が欠けていて汚れているので辛うじて読める状態でした。

ここから見る伊是名城趾は綺麗な三角形になっています。良く見ると右側に石の柱が立ち上がっています。

展望台の上まで上がると白い砂浜のビーチのすぐ横にゴツゴツとした岩場があって、その岩が伊是名城趾の岩山に連なっている様子が見てとれます。

反対側には陸側に大きな岩の塊が突き出ていて、海の中にも岩が突き出ています。ここでも白い砂浜と黒い岩のコントラストが際立っています。

沖合には真っ平らな屋那覇島が見えています。

屋那覇島の右側には国頭の伊江島と聳え立つタッチューを見ることができました。タッチューも岩が突き出たものなのでこの島と同じような地質になっているのかもしれません。
【ギタラ展望台】
シラサギ展望台を出て少し進むとギタラ展望台がありました。2018年竣工とあるように比較的新しい展望台です。

ギタラ展望台から陸側を見ると屹立する大きな岩がありました。ガイドマップには「陸ギタラ」とありました。調べてみると「ギタラ」とは「切り立つ岩」という意味で、かつて漁師が読んでいた呼び名だそうです。

海側にも「海ギタラ」と呼ばれている突き出た岩がありました。展望台の名前のように海と陸のギタラを眺められるところでした。

他にも海から突き出ている小さな岩がたくさんありました。

【銘苅家住宅】
車を進めて伊是名集落に入ると「銘苅家住宅」がありました。

案内板によると銘苅家は第二尚氏の始祖尚円王の叔父を祖とする旧家だそうです。広々とした立派な屋敷でした。

入口から見た屋敷の様子。

母屋の広さに圧倒されました。集落の他の家とは比べものにならない広さです。

母屋の横に離れのような建物がありました。

母屋の仏壇と床の間。仏壇の上に御後絵(国王の肖像画)が掲げられています。

母屋の端にあった台所と思われる土間です。奥に竈があって、防火対策なのか壁は石造りになっています。
夢中で廻っていて昼食を食べ損ねたので作業をしている村の方に食事ができるところ尋ねたところ、島の中央にある伊是名中学校の近くにレストランがあると教えてくれました。車を走らせましたが残念なことにランチライムが終わったのか店は閉まっていました。Googleマップでそれらしい所を探しましたがどこも営業時間外になっていました。仕方がないので売店を探すことにしましたが、近くの売店は何故かシャッターが下りていました。港のターミナルの中に売店があったので港まで戻りましたが既に売店は閉まっていました。一縷の望みをかけて港の事務所の方に尋ねると、すぐ近くに共同売店があると教えてくれました。早速、車を走らせて仲田区共同売店に向かい、食料を手に入れることができました。
【仲田の神アサギ】
共同売店の駐車場で簡単な昼食を済ませ、次の行き先を考えていると「仲田区の文化財」と書かれた看板が目につきました。この近くに「仲田の神アサギ」と呼ばれる建物があるようなので行ってみることにしました。

碁盤の目のような集落の中をGoogleマップを頼りに進んでいくとモダンな塀に囲まれた茅葺きの屋根を見つけました。

民家のようなので入口から覗き込むと「仲田の神アサギ」と書かれた標識が建っていました。「アサギ」とは集落の守護神が祀られている所で、神女達が御嶽へ遙拝したり、神歌を謡ったり、神酒のふるまいを受けたりする場所だそうです。

【尚円王通水節公園】
次は島の中央部にある「尚円王通水節公園」に行くことにしました。ここにはお目当ての一つである尚円王の乗馬像があります。

公園を入ってすぐのところに乗馬像がありました。

馬に揺られながら後ろを振り返っているのは恋人がいる勢理客の方を後ろ髪を引かれながら家路に向かう様子を表しているとのこと。確かに振り返っている方角は勢理客を指しています。

国王の像にしては珍しいものだと思います。尚円王(金丸)は美男子だったと言われているのでさぞかしモテたことでしょう。

笠の下を覗き込むとなかなかの美男子でした。

【尚円王御庭公園】
次は像つながりで諸見(しょみ)にある尚円王御庭公園に金丸像を見に行くことにしました。

公園に入ってすぐのところに睦稔さんが製作した金丸像があります。フェリーに描かれていた絵はこれを模したものでしょう。

台座の説明にあるように伊是名島を出て本島に向かう金丸の強い意志を表しているようです。

公園の奥まったところに尚円王が生まれた屋敷跡があり、その中の大きな石の下に尚円王の臍の緒を埋めたという「みほそ所」という場所があります。

大きな石の前に香炉が置かれているので、この石がみほそ所を示しているのでしょう。

説明に書かれているように県の条例で現状変更が禁じられるほどの信仰の地となっているようです。

みほそ所のすぐそばに「諸見の神アサギ」がありました。

解説にあるように村の神聖な儀式を行う場所であることからここも現状変更が禁じられているようです。

公園を出たところに「くだみ石」という石がありました。解説によると金丸(尚円王)が馬に乗る時に踏み台にした石とのこと。確かに踏み台になりそうです。勢理客にいる恋人に会いに行く時も使ったのでしょうか。

少し離れたところに潮平井(すんじゃがー)がありました。

ここは水が湧き出る場所(かー)で尚円王はここの水で産湯をつかったと言われているそうです。

井戸は蓋がされていて中は良く見えませんでしたが、水が溜まっていることは判りました。
【逆田(さかた)】
尚円王(金丸)つながりで島の北にある「逆田」を訪ねることにしました。Googleマップを頼りに近くまで行きましたが藪の中にあるようで判りませんでした。反対側に行けば進入路があるかもしれないと車を走らせましたが、サトウキビ畑の中に入りこんでしまいました。それでもGoogleマップに示された方向に進んでいくと開けた場所に着きました。

「逆田」という不思議な名前の由来が案内板に書かれていました。

この田は段々畑のようになっていてこの奥に水源があると思われます。

尚円王(金丸)は水の管理についても知恵を巡らせたのでしょう。
【旧名城家住宅】
北部まで来たので島の東側を回って宿に帰ることにしました。
勢理客の集落の中を探し回って旧名城家住宅を見つけました。この住宅は今も使われているようなので敷地には入らずに外から見学させていただきました。後で調べてみると住宅というよりは住宅を囲っている石垣が重要文化財に指定されているようでした。写真に少しだけ写っていますが、琉球石灰岩を野面積みにしたもので角は丸く仕上げられているそうで、伊是名村での伝統的な屋敷構えだそうです。

【海ギタラ】
宿に帰る途中に海ギタラを間近に見ることができる浜に下りられそうだったので道を探しながらようやくのことで浜に下りることができました。

確かに不思議な光景でした。島の南側には海岸沿いに海の中にも岩が露出している所が多くありました。

海ギタラを良く見ると真ん中に窪みがあって植物が生えています。下は海なので雨水を頼りにしているのでしょうか。本当に不思議な光景でした。

伊是名島の初日はここで終わりにして宿に引き上げました。疑問だらけの観光でした。